仙巌園の案内
本内容についてはPDFもダウンロード出来ますので見学の際は合わせてご覧頂くとより一層楽しめます。
仙巌園は、保津川の流れで大名庭園と中国庭園に分けて鑑賞するとよけいに楽しめます。一般に説明される回遊式大名庭園では、石挟み石・ソテツ・借景を丁寧に解説します。島津氏は、城内で中国語を話す日を決めていたぐらい中国に関心を持っていたようです。大きな庭園の中に今風にいうとチャイニーズランドを造ったようです。他の大名庭園よりスケールが大きく知的に感じられます。特に三橋に立ち中国の景観を楽しんでください。
回遊式大名庭園地図
1.反橋
仙巌園には、多くの橋が架かっています。その中で庭園の目立つところに反橋があります。反橋には、俗なる世界から聖なる世界へ移行する結界の役目があります。反橋を渡りきると右側にソテツが植えられています。平安時代に造られた浄土式庭園の庭では反橋が架けられています。反橋は、地泉に浮かべた船の行き来を邪魔しないという実用的な意味もあります。
写真の青線の枠をみてください。反橋を造るには、青枠のような大きな石を削らないといけないので苦労します。反り具合により石の大きさが変わります。
御殿の奥に反橋がみえます。山奥に架かる橋のような風情があり、手前の大きな石で遠近感が出ています。
この反橋にはひとつの工夫が見られます。反橋の下に小さな滝を造り手前の石とで滝音を反響させています。多くの日本庭園で使われる手法ですので他の庭園でも見つけてください。
この御殿横の反橋は、右奥に小さな滝があり見え水音を響かせています。
2.橋挟石
橋挟石とは、橋の両端に据えられる役石のひとつです。園路から橋へと進んでいくときに単調にならないよう視線を受け止める石です。この石は、ほとんどの石橋に据えられ石橋の架け方や位置には苦心します。
回遊式庭園の中に石橋は多くあります。石橋と橋挟石との配置や大きさの面白さ、必ずと言って良いほどに夜歩くための灯籠が近くにあり、その種類や位置関係の面白さが楽しめます。
石橋が平面で長いため四つ割りにしたようです。橋の平面な感じを崩すために橋挟石は手前に大きな横長の石を配置し、他の石は小ぶりで灯籠の明かりが届くように伏せて置かれています。灯籠は笠の大きなものにして、明かりが足元に広く届くようにしています。
橋挟石
石橋の奥左の挟み石は富士山の姿に似ています。一瞬思い浮かべたのは、東下りの一節です。いくつもの河を渡り、駿河国で富士を見て東国旅行に行く男の姿です。また、京都らしく暗に江戸に下ると皮肉った石組でしょうか。
橋挟み石でこんな表現も出来るのでしょうね。
枯山水にも橋挟み石がありました。
萩城庭園は仙巌園と同じく溶結凝灰岩がつかわれています。この庭園にも多くの石橋が架かり、橋挟み石が配置されていました。狭石右側の天端の平たい石は灯籠の置き台なのでしょう。
3.ソテツ
仙巌園主庭の反橋(俗域から聖域に移行する結界の役目)を渡りきると右側にソテツが植えられています。ソテツには、一般的な庭木と明らかに異なる、樹形の持っている異国情緒があります。それゆえ聖なる世界を表現する庭木として植えられたと考えます。
江戸時代初期のソテツは権力を示す庭木として植えられました。有名なところでは、二条城・桂離宮、西本願寺の大書院庭園などに植えられています。下写真は、二条城二之丸庭園の雪囲いのソテツです。ソテツは、熱帯や亜熱帯に自生する植物で寒さに弱く、寒い京都ではこのように毎年雪囲いをしないと育ちません。このように大事にされ、庭園ではかなりの存在感を放っています。
4.亀石
5.沢渡石
曲水の庭にある沢渡り石です。仙巌園にある沢渡りの中でも優雅さを感じさせます。手前の角の鋭い沢渡り石とその奥に角の丸い沢渡り石を配して、緩やかに流れる川の様子を表現しています。
飛び石と沢渡り石の違い:飛び石は地面に配します。沢渡り石は流れの中や池に配します。水前寺成趣園の沢渡り石は有名です。
6.借景
仙巌園の中央から離れてポツンと右下にある二組の石組とても気になりました。
近づいてみると薄い石が並べられています。 手前の石組には階段があります。
生垣がなく砂浜と錦江湾が見えた時期は、青線ぐらいの小さな芝山だったのでしょうか。
この石組は、桜島の稜線と重なり合わせて、中景を造っています。稜線の重なり合う線の中に桜島があります。このような見方で考えると桜島が借景であることを強調する石組と考えられます。
次の江戸時代にある手法と考えてみましょう。
借景の強調
上の写真は修学院離宮の上の茶屋です。この庭も山の稜線と庭の稜線を重なり合わせて、遠景の山を借景としています。
上の浮世絵は北斎の甲州街道犬目峠です。浮世絵の風景画にも山の稜線を重なり合わせて、画面をまとめる手法が他の浮世絵にも多く見られます。この手法を庭に取り入れた考え方を借景と呼んでも良いようです。
借景の強調<旧島津氏玉里邸庭園>
旧島津氏玉里邸庭園の滝までに至る石組が、仙厳園の桜島の稜線と重なり合わせる手法と同じです。玉里邸庭園では、蓬莱山の横を奥深い森から湧き出た清水が流れとなり滝から落ちていく姿を見せてくれます。常緑樹で被い薄暗くして、その中に山の稜線が幾重にも重なり、山の奥深さを石の重なりで表現しています。
借景の強調<在りし日の仙巌園>
以前、庭から見える山の中腹に大きな春日灯籠を据えてその山も庭の一部にしているお寺がありました。庭から見ると大きな春日灯籠も程よい大きさで、山を借景に取り込むことに成功しています。この手法で、御殿や芝庭から中景の位置に春日灯籠が程よい大きさに見え、遠景の桜島までをつないでいます。
鉄道もなく、電線もなく、車の音もなくしましょう。錦江湾を望み、浜からは潮騒が聞こえたのでしょうか。
7.石階段
仙厳園の見所のひとつに石階段があります。石階段が流れるような曲線で造られています。
階段のステップが一、二、三、と組み合わさり、リズミカルな階段です。階段に適した角のある石が、多く産したんですね。
8.土留め石
上写真の石組は、鹿児島の庭園の特徴のひとつで溶結凝灰岩・板状節理からなる石組の写真です。仙巌園・知覧庭園内の石組も同じような特徴が見られます。溶結凝灰岩・板状節理からなる石の見せ方としては、見る方向に対して、石を立て面積を広くして、できるだけ大きな石に見せるという手法がとられています。知覧庭園のほうが早い時期に造られているので、その頃からの特徴といえるのでしょうか。
回遊式園林地図
A.入り口の表示石
保津川から瓢池に行く入り口中央に、何か文字が刻まれた三角石があります。
この文字は、中国故事庭園の入り口の表示石と考えられます。園林口・中国庭・昇龍口・なんでしょうか?
B.三橋様式の橋
瓢池(ひさごいけ)から険しい山道を登っていくと曲水の庭入り口に枯れた味のする三枚一組の石橋があります。造園で三橋といえば、天竜寺の庭に架けられた三橋様式のことです。
三橋様式とは、「虎渓三笑」という中国の故事があります。山中に籠もり俗界に下りないと決意した禅僧がいました。ある日、友が二人やってきました。長らく談笑したあと、禅僧は友を送っていきました。また話に夢中になり、俗界への橋を渡ってしまいました。気がついた三人は、そこで大笑いをしました。三橋はこの故事にちなみます。確かに位置的には険しい山道と優雅な流れの境界にあります。また驚くことに橋の長さを考えると遠近法の技法を使っていように見えます。残念ながら石の材料は鹿児島で採れたものではないようですが、三橋石組を強調するために使用した可能性もあります。この三橋石組は、島津氏と関係の深い玉里庭園・探勝園(鹿児島市照国町)にも架かっています。
玉里庭園の三橋 探勝園(鹿児島市照国町)の三橋
C.龍門瀑
曲水の庭東側に2~3段の滝石組があります。滝の水が落ちるあたりに、周りよりも表情のある石があります。注目すると鯉の頭部に見え’鯉魚石’ではないかと考えます。この滝落石が鯉魚石だとすると滝石組は龍門瀑になります。加治木町にある龍門の滝を近くに置きたくて作ったのかもしれません。また鯉魚石とは、中国の鯉が滝を登ると龍になるという故事「登竜門」にちなんだ鯉を石に見立てたものです。
滝口の中に龍門石窟の像?庭園に詳しい方に伺いましたら、明治初期の廃仏毀釈の時に隠したそうです。隠すなら広い敷地ですからどこにでも埋めれば隠せます。滝中に隠し龍門石窟のような景にしたのでしょうか。
D.竜頭
普通の流れなら左側の位置に大きな石を配置すると考えますが、なぜ周りに不釣り合いのこの位置に配置したのでしょうか。
平らの部分に座り、何かの曲水の宴での行事をするのかと考え、職員の方に伺いましたがそうでもないようです。やはり竜頭と考え流れを俯瞰しました。
曲水の流れを造ろうとすれば、流れはひとつの流れで良いはずです。流れが円形になり滝口に落ちています。この円形の流れを俯瞰すると流れが龍の体に見え、竜頭があります。
曲水の流れは、伏龍江? この図柄、禅宗寺院にある天井画に似ています。下
の龍図は滋賀県日野町信楽院(しんぎょういん)の天井画です。この流れは禅宗寺院の天井画をモチーフに造られたのでしょうか。
庭園では、橋の上からの景色を大事にします。三橋に立つと竜頭・江南竹・昇竜壁が直線上に配置されています。中国の景観を造ったようです。
竜頭の向きは、なぜ内側を向いているのか疑問でした。昇竜壁を向いて、今まさに昇らんとする姿勢の方が勇ましい気がします。現在は、樹木に隠れていますが桜島の方を向いていて、納得します。
この曲水の庭一帯は、18世紀初頭に造られて、風水害で破壊されて廃園のまま時が過ぎ、昭和34年(1959年)に発掘されたそうです。発掘された曲水の庭から見える千尋厳と掘られた岩壁は、江戸時代から竜が天に昇る姿と言われて’昇竜壁`と呼ばれていたそうです。龍門瀑で鯉が龍になり、曲水の庭の流れに伏龍し、この岩壁のごとくに天に昇る様子を表す説話の庭なのでしょうか。英明な薩摩の殿様が、大きな庭園の中に今風にいうとチャイニーズランドを造ったようです。他の大名庭園よりスケールが大きく知的に感じられます。
E.江南竹
F.撮影台
池にある沢飛びふうの石は、池の石組には、どうもしっくりきません。考えていると、子供が石伝いに下りていきました。この石は、写真撮影台だろうか。
この位置に人がたてば、大滝(撮影時に水量を増やす)をバックに仙厳園訪問記念写真が撮れます。明治時代のハイカラさんを撮影したのでしょうか。この石の不自然な置き方からすればこのような見方も出来ますね。
橋の右に天端がフラットな石があります。この石の上にカメラをセットして写したのでしょうか。昔のカメラは、焦点距離が4~6mぐらいと長かったそうです。
G.巨石石組
曲水の庭から池に下りる峻険な山道の両側に、道を造るときに掘り出てきた巨石があります。大きな石です。