旧島津氏玉里邸庭園の見所

玉里庭園の三橋

国指定名勝 旧島津氏玉里邸庭園の見所についてご紹介します。
本内容についてはPDFもダウンロード出来ますので見学の際は合わせてご覧頂くとより一層楽しめます。


庭園の見所地図

1.滝石組

蓬莱山石組

 茶室横の滝はめずらしく丁寧な表現をしている滝です。蓬莱山の横を奥深い森から湧き出た清水が流れとなり滝から落ちていく姿を見せてくれます。滝は二段落ちになり水音を響かせます。落ちた水は流れとなり、その流れを変化させるいろんな形の水分石を楽しめます。

稜線

 滝までに至る石組も見所です。常緑樹で被い薄暗くして、その中に山の稜線が幾重にも重なり、山の奥深さを石の重なりで現しためずらしい石組です。

2.キリシタン灯籠

キリシタン灯籠

 キリシタン灯籠は、その名の通りキリシタン信仰上の石造物で灯籠の竿の部分にマリア観音を刻み込み、信仰の対象とした灯籠のことです。またこの灯籠は、戦国武将で茶人の古田織部に好まれ茶庭や数寄屋造りの庭園の点景物として広がりました。江戸初期の頃、島津家はこの古田織部と交流がありますのでその頃のものでしょうか。

キリシタン灯籠拡大

 灯籠の竿上部の丸くふくらんだところに記号がありますが、何を意味するのか不明です。奇妙な記号を左に90度回転するとLhqという文字列に見えます、このことからアルファベットもしくは、ヘブライ語ではないかという説まであります。時は大航海時代、『へうげもの』と呼ばれた織部、なんでもありだったのでは。

3.亀石

亀橋

 玉里庭園の茶室近くの石橋は、幅広く大きな石の橋です。お茶邸の近くというのもあって、この大きさに違和感を感じます。また、石橋に対しての橋挟み石は、立石の大きなものでも似合いそうなのに平坦すぎます。しかし、茶室から見た石橋は橋挟み石が亀の四足と考えると大海を悠々と泳ぐ海亀にみえます。玉里庭園は、滝石組の項で蓬莱山石組があるので蓬莱神仙庭園です。この石橋が亀ならば、灯籠の横の長石が置かれたところが鶴石組なのでしょうか。この石群を見ると立石になりそうな石があり、鶴石組しやすそうな感じがします。案内には、池の中にある島が鶴島となっていいます。でもこの島は、三橋様式の橋が架けられて、仙人の住む神仙島でになっているようですが。

亀橋

橋挟み石が、平坦で、亀の四つ足に見えます。
蓬莱神仙庭園:蓬莱神仙思想を元に造られました。この思想の中では不老不死の仙人が住む蓬莱山が理想郷として信じられ、神仙の使とされる鶴と亀は長寿の象徴です。

橋挟石(橋添石)の説明 仙巌園

 橋挟石とは、橋の両端に据えられる役石のひとつです。園路から橋へと進んでいくときに単調にならないよう視線を受け止める石です。この石は、ほとんどの石橋に据えられ石橋の架け方や位置には苦心します。
 回遊式庭園の中に石橋は多くあります。石橋と橋挟石との配置や大きさの面白さ、必ずと言って良いほどに夜歩くための灯籠が近くにあり、その種類や位置関係の面白さが楽しめます。

橋挟み石
橋挟み石

 石橋が平面で長いため四つ割りにしたようです。橋の平面な感じを崩すために橋挟石は手前に大きな横長の石を配置し、他の石は小ぶりで灯籠の明かりが届くように伏せて置かれています。灯籠は笠の大きなものにして、明かりが足元に広く届くようにしています。

橋挟み石
三連の石橋にも挟み石があります。以下のとおり仙巌園には多く見られます。
橋挟み石
御殿横の石橋にもありました。
橋挟み石
最近手すりのついた石橋にもちゃんと配置されています。

橋挟み石 京都御所他

橋挟み石京都御所
京都御所 御池庭の橋挟み石

 石橋の奥左の挟み石は富士山の姿に似ています。一瞬思い浮かべたのは、東下りの一節です。いくつもの河を渡り、駿河国で富士を見て東国旅行に行く男の姿です。また、京都らしく暗に江戸に下ると皮肉った石組でしょうか。
橋挟み石でこんな表現も出来るのですね。

橋挟み石 金戒光明寺
京都 金戒光明寺の橋挟み石

枯山水にも橋挟み石がありました。

山口 萩城庭園
山口 萩城庭園

 萩城庭園は仙巌園と同じく溶結凝灰岩がつかわれています。この庭園にも多くの石橋が架かり、橋挟み石が配置されていました。狭石右側の天端の平たい石は灯籠の置き台なのでしょう。

4.三橋様式の橋

三橋様式の橋

 小島に渡る橋を見ると仙巌園にも架けられた三橋様式の橋がここにもあります。この小島は、、神仙島になるのでしょうか。石橋としては、奥に末広がりの石、中に島と下御庭を結ぶ細長の切石、手前に上部が平たく長い短冊石をあしらった重量感がある見応えのある橋です。橋を渡って島に行くのは怖そうですが、象徴としての橋ですから渡れなくても良いのです。

三橋様式の橋

 島と下御庭を結ぶ細長い切石は、橋脚を動かないようにしている石でもあり大きな石を使用したときの鈍さを軽快な感じで打ち消して三橋をまとめています。

三橋様式の説明

仙厳園の三橋様式の橋

 仙巌園の曲水の庭入り口に枯れた味のする三枚一組の石橋があります。造園で三橋といえば、天竜寺の庭に架けられた三橋様式のことです。

 三橋様式とは、「虎渓三笑」という中国の故事があります。山中に籠もり俗界に下りないと決意した禅僧がいました。ある日、友が二人やってきました。長らく談笑したあと、禅僧は友を送っていきました。また話に夢中になり、俗界への橋を渡ってしまいました。気がついた三人は、そこで大笑いをしました。三橋はこの故事にちなみます。確かに位置的には険しい山道と優雅な流れの境界にあります。また驚くことに橋の長さを考えると遠近法の技法を使っていように見えます。残念ながら石の材料は鹿児島で採れたものではないようですが、三橋石組を強調するために使用した可能性もあります。この三橋石組は、島津氏と関係の深い玉里庭園・探勝園(鹿児島市照国町)にも架かっています。

5.沢渡り石

茶室の園路は飛び石から沢渡になり飛び石に移り変わるめずらしいものです。

流れ中段の沢渡石は、小気味よいリズムで造られています。

左に滝音を聞きながら、軍隊が行進するような沢渡石です。

6.島津退き口

島津の退き口

 飛び石から沢渡りへ変化しながらまっすぐに配置された飛び石です。飛び石は、右、左、右、左、と一歩一歩の歩みを無理のない動作で行われるような配石を基本とし、加えて飛び石の距離や方向、庭全体に対するバランスを考えて、美しい石の配置が工夫されます。

 その配置は、直打ち、二連打ち、二三連打ち、雁打ち、千鳥打ち、大曲りなどの打ち方が昔からされてきました。茶室周りの飛び石は、曲がったり、飛び石から沢渡りに変化したりと複雑に絡み合った配置をしています。しかしここでは、まっすぐに配置された直打ちの打ち方になっています。玉里庭園の全体的な配置から考えると、直打ちの飛び石や異様な巨石がありと不自然さがあります。この不自然さは、庭園オーナーの意向が働いた場所ではないでしょうか。ここだけ切り取って考えてみましょう。大石と崖に挟まれたところに向かって一直線に伸びる飛び石が、配置されています。時間を巻き戻して戦国時代的に考えると、大石と崖に挟まれたところの狭間は、危険極まりない場所です。また飛び石を騎兵にたとえると、狭間(危険)に向かってまっすぐに飛び込む騎兵軍団とは考えられないでしょうか。庭園オーナーの島津氏は、関ヶ原の戦いで島津退き口という歴史上有名な敵中突破をしています。この敵中突破の誇りを目に見える形で作りたかったのではないでしょうか。

 また、縦・横およそ3.5m、高さおよそ3mのこの巨石は、磯の海中にあったものを53個に分割し、運び込み、ふたたび継ぎ固められたと伝えられています。上面には、柱穴が残されていることから、何らかの祠が祀られていたそうです。このようなことから、この大石は’島津氏の強い意志’を現しているように感じられます。島津氏は、この敵中突破の誇りを来客者に考えてもらいたかったのでしょうか。

7.石階段

 下御庭の石階段は、石が一・二・一や二・三・一並んで段を造り、リズミカルなステップになっています。これも見所のひとつです。

8.石組の特徴

土留め石の石組

蓬莱山の石組

 上写真の石組は、鹿児島の庭園の特徴のひとつで溶結凝灰岩・板状節理からなる石組の写真です。仙巌園・知覧庭園内の石組も同じような特徴が見られます。溶結凝灰岩・板状節理からなる石の見せ方としては、見る方向に対して、石を立て面積を広くして、できるだけ大きな石に見せるという手法がとられています。知覧庭園のほうが早い時期に造られているので、その頃からの特徴といえるのでしょうか。