第1話「若尊石を追え!」

はじめに、なぜ若尊石?
 昭和50年代頃まで流行した池造り・庭の改造のときに、親方やベテランの職人さんの間で話題になる名石が、若尊石でした。その石は、福山の海岸で採れ、鹿児島の港まで運ばれてきて庭石として使われたとのこと。確かに、古いお屋敷の庭で滝口・流れ部分の一番目立つところによく見られます。長年の疑問でした、いつ頃から・どのようにして運ばれ・庭石として使われるようになったのか調べてみることにしました。 先ずは、若尊海岸へいきました。若尊海岸というのは若尊の鼻という、旧福山町と敷根に挟まれた岬でした。福山側の海岸へ行き周りを見渡すと、ワォー!あちらにも、ここにも、若尊石がころがっています。(石の特徴:火山の爆発で出た火山灰堆積後にも高温を保っていると火山灰が再融解して粒子どうしが接着してできた石です。堅さが硬く、鉄のハンマーでたたいても砕けません。)

若尊海岸からの若尊石

岩肌を見ると柔らかそうな部分は、波で削り取られ若尊石特有の荒々しい磯の情景が見えます。

敷根側からの若尊石

敷根側から若尊鼻をみ見るとやや赤色の石が多く、植物は付きやすいようです。やはり、若尊石はこのあたりの海岸からのようです。(溶結凝灰岩は、錦江湾全体に分布するので言い切ることは出来ませんが。)

田中省三邸の若尊石

若尊海岸を歩いたあと、なにげなく立ち寄った旧福山町の指定文化財‘田中省三邸’に、なんと若尊石が使われていました。 縁側の軒下の手洗いとして若尊石が、使われていました 。 しかし 若尊石 の上には瓦がのっていたぞ。自然石手水鉢としては、これほど立派な物は、見たこともないのに、残念!

主庭の池には、若尊石の噴水がありました。この他にもいたるところに、使われていました。 この庭は、大正12年に竣工したとあるので、若尊石は、この時期も名石として使われていたことになりますなぁ~。庭もさることながら建築物も立派です。書院・欄間・その他も細工の細かいのが多く、数寄屋建築の良さで溢れています。また洋間には、暖炉もあり阪神方面から移築された様子もうかがえます。

仙巌園の若尊石

仙巌園のパンフレット引用: 御殿は、29代忠義の時代には本邸として使用されていた。 現在では、明治17年(1884)の改築された部屋を中心に、当時の約3分の1が残されている。 また、御殿の前の松は、やくたね五葉といい、御殿の前で仙巌園の長い歴史を見つめてきた。 本邸として使われていた時代を想定して案内をする観覧コースがある。
 やはり鹿児島の庭園といえば仙巌園。訪ねてみました。

仙巌園の中には、要所要所の場所に、若尊石が使われているようです。これらのことから、若尊石を庭園で使われはじめたのは、この喜鶴邸が造られた1672年までは、さかのぼれるように思えました。